虚空に織る夢

 ただ語る言葉にどれほどの意味があるのか。
その真実を、決定する鍵はまだ闇の中に。
だが、真実を追究することに、いくばくかの空しさを……

序 千の嘘

 薄汚れた映画館に私はいた。
懐古主義なのか、時間に置き去りにされたのか、
酷く古ぼけたその映画館は、ひどく埃っぽく、私の他には誰も客がいない。
そして、映画を映さないスクリーンは、光を反射し、黒いノイズだけが縦横無尽に走っている。
「……もう、疲れた」
いっそ嘘臭く呟く言葉ほどに声は疲れていない。
見下ろすと透き通るほどに青い自分の手が目に映る。
白いワンピースのスカートが目に痛い。
 何故、私がここにいるのかがわからない。
 何故、私が存在するのかもわからない。
「まだ、大丈夫」
信じられるはずもない嘘を呟いてみると、不思議と信じられる言葉のような気がしてくる。
けれど、それは虚構でしかなく、たった一人で呟く言葉は滑稽だ。
「痛いとか、苦しいとか、そういう言葉は聞いてくれる誰かがいないと意味もないし……」
誰に語りかけているのかもわからないまま、静寂に耐え切れずに呟き続ける。
「そもそも、本当に痛いのかもわからないし……」
嘘ばかりを並べ立てていると、分析したところで、変えようとしなければ意味がないと知っている。
けれど、真実を語ったところで、なんの意味があるのだろう。
「結局、世界は嘘で出来ているのよ。
 耳に心地いい、幾千幾億の嘘が本当の顔をしているだけ……」
それが真実だと、断言するように呟く。
しかし、その言葉すら自分自身を納得させるものではない。なぜなら、それも嘘だ。
 映画はまだ始まらない。
白い薄茶けたスクリーンは埃のノイズだけを上映し続けている。
呟く言葉を受け止める人もいない。
 私はうつむいたまま、深く息を吐いた。
「………嘘つき」

 白いドアを開くと、彼女はいつも微笑んでいた。
「おはよう……」
返事はない。彼女が意味のある言葉を話すことはない。
まるで美しい人形のように、静かに微笑んでいる。
俺を見ているようで、決して俺を見ているわけではない。
 心をどこかに忘れてしまったように。
「今日はいい天気だな」
語るべき言葉もなく、いつも言える言葉は天気の話ばかり。
「今日は雨だな」
「今日は少し寒いかな」
「今日は……」
どれだけ語りかけても返事はない。
そして、何も言えなくなり、重苦しい沈黙が支配する。
しかし、それを重苦しいと感じているのは俺だけなのだ。
怒ることも悲しむことも怒鳴ることも何もかもが虚しい。
彼女にとって欠片程の価値すらないと思い知るだけだ。
 俺が何故ここにいるのかがわからない。
 俺が何故ここに来るのかがわからない。
「……何か、言ってくれよ」
疲れ果て、呟く言葉には力もない。
情けなさに吐く息だけが胸を締め付けるだけだ。
「こんなことを望んでいたわけじゃない……」
彼女の酷く細い、青白い手を握ると、ひんやりとしていた。
酷く切なくなって、涙が零れる。
握り返すわけでもない彼女の手を見つめているのも辛くて、顔をあげると、彼女はただ微笑んでいる。
なにも動かない、静かな世界。
「ごめん……」

 大切なものに気付くのはいつだって
失ってからだと誰かは言った……
それでも、失えないものだからこそ人は執着する。
だが、時を巻き戻すことなど誰にもできはしないのだ。

1 春雪~26歳のふたり~

「……それでね。もう!ちゃんと聞いてる?」
「あぁ」
彼女はふくれた顔で黙り込んだ。
しばらくの沈黙の後、ようやくTVから目を離した彼は彼女を抱きしめた。
「んだよ。なにむくれてんの?」
黙り込む彼女に、彼は軽くキスをすると、苦笑した。
肩まで伸びた髪を玩びながら、額を付け顔を覗き込む。
彼女はかわすように、体を離すと、彼を睨みつけた。
そして、子供のように舌を出し、ぷいっと横を向いた。
 彼はそんな行動に呆れたように笑い、少し強引に抱き寄せた。
 今度は彼女も抵抗せず、されるがまま、彼の胸に顔を埋める。
そのまま、少し力を込めた手で、彼の服を握り締めた。
「なんかあったのか?」
顔を上げさせようとするが、それは拒否して、彼女は首を横に振った。
大きく深呼吸をして、尚掴む手の力を込める。
「ほんと、どう……」
「なにもない」
奇妙に冷静な声で彼女は、彼の言葉を遮った。
 ゆっくりと顔を上げ、彼を見上げた彼女の目は不安に揺れていた。
まるで、そうこれからのことを予感していたかのように……
 しかし、彼には何もわからなかった。
 わからなかったから、彼は更に彼女を強く抱きしめ、ベッドへ倒れこんだ。
そして、手馴れた仕草で彼女の服を脱がしてゆく。
安心させるように、降るようなキスをまぶたに、頬に首に、そして絡みつくようなキスを。
 彼女は少しだけ悲しそうな顔をしたが、やがて何もかもを忘れたように、彼に応えた。

 彼女はゆっくりと体を離し、立ち上がって服を着た。
もう春とはいえ、夜はまだ冷える。彼はその行動を無表情に眺めていた。
黙ったまま彼女はコートを着込み、鞄を持つと振り向いた。
「……帰るね。もう、遅いし」
時計は23時を示していた。
 彼が立ち上がり服をとると、彼女は片手でそれを制した。
「いいよ、すぐだし。じゃ、また明日ね」
「あ、悪い。明日、会社の飲み会だ」
彼女は苦笑すると、「そっか」と小さく呟いた。
そして、鞄を肩にかけ直すと、ベッドに座る彼に軽くキスをして、笑顔を見せた。
「じゃ、アキ。おやすみ」
言って、彼女は靴を履き、ドアを開けて出て行った。
 彼はベッドへ倒れこむと、そのままリモコンを取り、再びTVをつけた。
 呆れるほどに、それは日常の出来事だった。
毎日は繰り返しだった。
まだ寒い春の夜だった。

 ドラマなどないのだ。
そして、いつだってドラマのようだ。
劇的な変化など望まぬとも、訪れるものなのだ。
永遠などどこにもありはしないのだ。
text/dreamsky.txt · 最終更新: 2023/06/24 06:50 by 127.0.0.1
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