明けない夜がないように
目覚めない朝もない
そう信じていた
これからも、信じるだろう
それが、ずっとずっと遠い日の目覚めでも…
新暦1251年、春。
混迷の時代を終え、緑の地球を取り戻したこの星は、大陸の半分をライフッド帝国に支配され、安定した国家を築いていた。そう、貴族たちが暗躍し、政治闘争に明け暮れる暇があるくらいには。
その代償として、科学も、そして旧世界の歴史すら、はるか過去のベールに押しやられてしまったんだけど。
「アティス。ライシェのところかい?」
「……エラフド伯」
僕は立ち止まると、眉を寄せて伯爵を見上げた。 彼は、少し寂しげな微笑を浮かべた。
「もう義父とは呼んでくれないのだね」
「当たり前だッ!!」
激昂し、怒鳴ると、伯爵は微笑みを消し、沈痛な表情になった。
「アンタが、僕たち孤児を引き取ってくれたことは感謝してるさ!
だけどッ!!」
「………」
不覚にも涙が滲んだ。 それを乱暴に腕で擦ると、僕は伯爵を尚睨みつけた。
「グレーテや、エリクだって、アンタのことを信じてたんだ。
それを汚い政治闘争のために、アンタは僕たちを売り飛ばしたんだ」
僕は深く息を吸った。
「……アティス」
「呼ぶなッ!
僕はアンタを軽蔑するよ、エラフド伯」
僕は、何かを言いたげな伯爵を無視するように身を翻した。伯爵は、深いため息をついた。
「……今夜、陛下が来られるよ」
「わかってる」
振り向かずに返事して、今度こそ、僕はライシェの元へと走った。
今夜の準備をするために。
「ライシェ、体調はどう?」
声をかけると、彼女はゆっくりとした動作で体を起した。
「大丈夫よ、アティ」
腰ほどまである長い金髪を、耳にかけ彼女は微笑んだ。同じ顔をしているのに、あまり似てると言われないのは、この髪の違いと、表情なんだろうと思う。
今は病気のせいで少し青ざめた顔をしている。僕は彼女に近づくと、ぎゅっと抱きしめた。
「今日だね、ライシェ」
ライシェは黙って、同じく僕の背中に手を回した。
しばらくして、僕は体を離し、ベッドサイドの椅子に座って、ライシェの手を握り締めた。そして、彼女も僕の手を握り締めた。
「アティは残ってもいいのよ?」
ぽつりと、呟くようにライシェは言った。
何度も繰り返された問いに、僕は首を左右に振り、彼女に微笑みかけた。
「僕たちはずっと一緒だよ。生まれたときから、ずっと」
「うん」
ライシェが流行り病に罹ったのは、つい1ヶ月程前のことだった。死の病は、患者の体をゆっくりと蝕んでいくのに、助ける術は見つからなかった。
それでも、この気丈な双子の姉は、穏やかにベッドに縛り付けられた生活に文句一つ言わず、そのままでは、ただ死を待つだけだった。時間さえあれば、病気の治療法もいつかは見つかるだろう。だけど、ライシェにはその時間はない。いや、正確に言うと「なかった」。
そう、今はその時間を作ることが出来る。そのためなら、僕は悪魔にだって魂を売るだろう。
いつか出会う人
いつか成し遂げること
希望という言葉だけを拠り所にして
僕たちは今日という日を生きている
可能性だけを、その手に握り締めて
夜半、ライフッド帝国現皇帝アルバート・F・ライフッド陛下は訪れた。そして、僕たち双子と、エラフド伯爵は、無言のままの陛下の馬車に同乗し、研究所へと向かった。
馬車の中では、時折、伯爵が何かをいいたげな顔をしていたが、結局は何も言わないまま、深夜になって僕たちは研究所の門をくぐった。
「ライシェ、大丈夫?」
研究所で薄手の服に着替え、ふと横に立つ彼女を見ると、青白い顔で無表情に立っていた。
「大丈夫よ、アティ」
彼女は明らかに無理に浮かべた笑顔で応えた。
そうしていると、陛下と伯爵が部屋へ入ってきた。そして、その後ろから入ってきた研究員に僕たちは簡単な説明を受けた。
「コールド・スリープか」
陛下は低い声で呟くと、ため息をついた。そして、ふと僕たちを振り向いた。
「それで、最後の挨拶はいいのか?
君たちの時間と、エラフド伯の時間が交わることは恐らくもうないぞ」
「………」
陛下の言葉に、僕は俯いて唇を噛み締めた。ライシェは、伯爵に向き直った。
「お義父さん、今までありがとうございました。
お体、お大事にしてくださいね」
伯爵は何度も頷いた。
「お前たちも、元気で……」
「はい」
後はもう会話もなく、僕たちは大掛かりな装置へと入った。中はひんやりとした粘度の高い水で、僕とライシェは向き合うと、その両手を繋いだ。
いつか目覚める日のために
僕たちは眠るだろう
その時 僕たちは誰と出会い
何を思うのだろうか……
彼は、隣に呆然と立ち尽くす伯爵を見つめた。機械は大きなモーターの音を一時だけ立て、また静かに沈黙した。
機械の中には、双子が氷の中に閉じ込められている。小窓から見えるその表情は案外穏やかで、二人の絆を示すようにしっかりと手を繋いでいた。
「私たちは先代から続くこの負債を返さなければならない」
「存じ上げております、陛下」
伯爵は振り向かず、静かな声で応えた。
「クローン技術による、永遠の命を求めた歴代の皇帝陛下も、
それに加担し続けた我が一族も、
犠牲となった者たちには等しく罪人でありましょう」
二人は小窓から見える双子を見つめた。
それは、彼らの罪の証であり、未来の象徴でもあった。しばらくして、伯爵は拘泥を振り切るように振り向いた。
「すでに準備は整っております。
教団はすぐにでも設立できるでしょう」
皇帝は鷹揚に頷くと、そのまま出口へと向かった。
慌てて追おうとした伯爵の前で、皇帝はふと立ち止まると、もう一度双子のいる機械を振り向いた。
「どうなさいましたか?」
「いや……」
一瞬の逡巡があった。
「未来が来るまで、彼らは眠り続けるだろう。
だが我々は、その間を埋めるように
今日という日を送らなければならない。
どちらが幸せだと言えるのだろうか」
呟くように言い、皇帝はもはや振り向かず、馬車へと向かった。
伯爵もまた、無言のまま、一度だけ振り返り、皇帝の後を追った。
明日という日は、ただ来るものではない
今日という日を、ただ走りつづけるだけ
そして、眠るときには
穏やかな夢を……