目次

人形の森

 オネがい なかナイデ。そンナに クルシまないで。
カナしまないで キみが カナしいと ボくも かなシイ。
 ボくが イル、 きみをすきな ボくガ ズット。
ダレか、アのなみダヲ トめて。 あノ ナみダを エがおニ かエて。

1

「咲也ぁ!いやあっ!目を開けてぇっ!!」
一人の少女が、サクヤにしがみついて泣き叫んでいる。サクヤや青白い顔で、静かに眠っている。
彼女の声はもうサクヤに届くことはない。
 サクヤは死んだ。触れればまだ暖かいのに、彼は目覚めない。
そして、やがて冷たくなる。まるで、人形のように。
たった今、医師が生命維持装置のスイッチを切った。サクヤはもう、記憶の中でしか笑わない。
「咲也ぁ…嘘よ……お願い、起きてぇ……」
サクヤの体はまだ温かいのに、魂はもうそこにない。少女の声が、だんだんと弱くなってゆく。
握り返してはくれないサクヤの手を握り締めて、彼女は泣いている。
 サクヤの両親は酷く疲れたような顔で、サクヤを見つめていた。サクヤの弟は、サクヤを見つめてずっと泣いている。
とても、とても愛されていたのに、サクヤはもう目覚めない。
「咲也」
お父さんがぽつんと呟いた。
「この、親不幸者が……」
かすれた声で、お父さんが言った。

 サクヤは消えてしまう直前に、強く強く願ったことがあった。
 その気持ちはとても強くて、僕たちの女神まで届いた。

サぁ 歯車ヲ まワそう
  モのがたりガ ハジまる
ボくの命ガ ウゴき出ス

2

「沙夜……」
低い声で、イクタはサヤの名を呼んだ。
イクタは、サクヤの親友だった。サクヤが死んでからサヤにずっと付いていた。
彼もサクヤが死んで、とても悲しんでいたけれど、でも、彼は生きていた。生きていたから、立ち直ろうとしていた。
「沙夜、もう咲也が帰ってくる訳じゃないんだ」
サヤはじっと黙ったままだ。サクヤが死んでから、サヤは喋らない。
「もう一ヶ月も経ったんだ。悲しくても、沙夜は生きてるんだから……」
「さくやが……」
ぽつん、とサヤが呟いた。
一ヶ月ぶりにまともに喋ったサヤにイクタは安心したように微笑んだ。そして、サヤに顔を近付けた。
「咲也、ずっと一緒にいるって言ったのに、どこにもいないのよ……」
サヤやどこか虚ろな目をして、イクタを見つめた。
 イクタは目を大きく見開いた。
「ねぇ、生田君。咲也知らない?」
「沙夜……」
イクタは掠れた声で呟いた。微かに指先が震えている。
 しばらく、呆然とサヤを見つめていたイクタは、やがて目元を抑えてふらふらと外へ出て行った。
サヤはそれに気付く様子もなく、床に転がった人形をぼんやりと見つめていた。

壊れそうな サヤ。大好きなサクヤを失って、泣いているサヤ。
僕はサヤが好きだ。サヤはサクヤが……
 でも僕は、サクヤのことも大好きだった。

 僕はいつの間にか、そこに座っていた。サヤは体を震わせて、僕のことを見つめていた。
「……サ…ヤ」
異質な声がこぼれた。自分の喉が震えて、声が出るのだと知った。
 手を伸ばすと、サヤに触れた。
サヤは信じられないというように、目に涙を一杯にためて、震えていた。
「サヤ」
「さくやぁっ!!」
サヤの目から大粒の涙が零れた。痛いほど僕の体にしがみつきながら、サヤは泣いた。
泣いて泣いて、一生分の涙を流し尽くすかと思うほど泣いた。
 僕は誤解を解くことも出来ずに、ただサヤの背中をなでることしか出来なかった。
 子供のように、泣きじゃくるサヤを抱きしめて、僕は少し昔のことを思い出した。

 あれはいつの頃だっただろう。
サヤと出会った頃、もうサクヤは体が弱かった。
ほとんど、病院から出ることも出来なかったけれど、その日は具合が良かったのだと、何度も聞いた。
 サクヤは意外とゲームが得意で、僕はその賞品だった。
僕のしていた帽子は、たまたまサクヤのお気に入りの帽子とよく似ていた。
サクヤはあまり使う機会のない、その帽子をとても大切にしていた。
だから、サヤは僕を「さくちゃん」と呼んだ。サクヤのさくちゃんだって、笑っていた。
 サクヤは照れくさそうに、僕をいつも片手で放り投げては、サヤに叱られていた。
サクヤは照れてたけど、本当は僕だって照れくさかったんだ。
 それから、サヤは僕を大切にしてくれた。

ねェ サヤ 知っテいた?人形は 人の心を映ス 鏡ナンだっテ。
イろいロな 心を映シて 学習しテイくんだっテ。
ジャあ 僕は誰の心を映シているんダロうね。

 ふと視線を落とすと、サヤは穏やかな寝息をたてていた。
僕はサヤの少し癖のある髪を撫ぜた。彼女は少しだけ声を漏らすと、僕の服にしがみついた。
「大好キダヨ、サヤ」
頬の涙を拭う。
「僕ハ、イツダッテ、サヤノ味方ダヨ」
僕の白い指が、サヤの首に絡まる。
指にゆっくりと力がこもり、サヤが苦しそうに眉を寄せた。僕には彼女が泣きそうに見えた。
「僕ガ、味方ダヨ」
サヤが目を開いた。そして、嬉しそうに笑った。僕の頬に手を伸ばした。
 涙を流しながら、彼女は笑っていた。そして、声もなく唇が動いた。
「さ く や」
僕は彼女を放り出すように手を離した。
サヤは激しく咳き込んだ。
僕は震える自分の体を抱きしめた。どうしても、体の震えは止まらなかった。
サヤは涙で滲んだ目を僕に向けた。
「デ…キナイ」
サヤの首に紅く指の跡が残っている。
「僕ニハ、デキナイ」
「連れて行ってくれないの?咲也」
サヤの手がゆっくりと伸ばされる。
僕はずるずると体を引きずって、サヤの手から逃げることしか出来ない。
「僕たチハ、サヤを愛シテいルから」
サヤはふわりと首を傾げた。
「僕モ サクヤも ズット サヤ ノ 傍ニイル」
「咲也?」
「ココロは サヤ ト いるカら」
サヤは僕を捕まえた。泣きながら、僕を捕まえていた。
 僕は罰を受けるだろう。サヤはサクヤのところへ行きたかったのに。
その願いを叶えることがどうしても出来ない。
 こんなことなら、もっと大きな罪を犯せばよかった。
サヤのために、最愛のサヤのために。サクヤがもっと、サヤと一緒にいられるように。
「生きテ、サヤ」
僕はただの人形に戻る。
 もう何の魔法も持てなくなる。
動けない人形の中にあった、かりそめの魂すらなくなってしまう。
もう、永遠にサヤを見ることも出来なくなる。
僕ハもウ、最愛ノヒとニハあえナイ。
 もう時間がナい。体がモトノ小サな人形へトもドってユク。
「ボクたチは、きミが ダいすキだヨ」
ぽてん、と布製の人形が床に落ちた。それきりだった。
 サヤは黙って、長い長い時間、その人形を見つめていた。

エピローグ

 僕はまだ存在し続けていた。
体はもうチリに還り、サヤはもう年老いて死んでしまったであろう長い時間が過ぎた。
あれから、僕はとてもたくさんのことを考えた。
サヤはどうなったのだろう。突然現れて、消えてしまった僕をサヤはどう思っただろう。
 あぁ、だけど僕はあの瞬間、確かに幸せだったんだ。
それが、サヤを不幸にしたとしても、僕は幸せだった。
『ウ ラ ギ リ モ ノ』
サクヤと同じ望みを抱いていたんだ。
サヤにもう一度笑って欲しいと思った。
でも、サヤはサクヤと一緒に行きたかったんだ。
『ウ ソ ツ キ』
人形の心はただの借り物。
人が命を掛けて、僕たちに心を吹き込む。
「沙夜!咲也!!僕は間違えたの?!」
もう、想いだけしか残っていない。
あの僕を呼ぶ優しい声はどこにもない。
ただ、僕は答えの出ない迷宮で永遠に彷徨っているだけ。

「さくちゃんったら、泣き虫ね」
くすり、と笑う声がした。僕は恐る恐る振り向く。
「まったく、そんなことも分からないのか?」
苦笑しながら伸ばされる手は、とても優しい。
怯えながら手を伸ばすと、ふたりは強く、抱きしめてくれた。
僕はまだ信じられなくて、呆然としていた。
 沙夜と咲也が笑っていた。
「さくちゃん、ありがとうね」
沙夜が言い、咲也は笑顔で頷いた。
「サヤ……サクヤ………」

浄化の炎が三人を包んだ
そして、もう苦しむことはないのだと
僕たちの女神の優しく、哀しい呟きが聞こえた
 炎は暗い森を照らした
 人形たちは、もう泣かない……